【完全版】 童貞からの日記 a.k.a サブカルへの日記 【2018-】

J-POPに片思いしていた / 過去の備忘録 / ミニブログ的な、何か / 貧乏生活上等 & 完全嫌儲主義

俺なんて、たいしたもんじゃない、それでも、何かを積み重ねて生きていくしかないんだよな、きっと、、今は、ユーチューブでインリビング氏のゲーム実況を見ている、なんか、インリビング氏は友達ではないが、ゲーム実況ってやつは友達と遊んでいる感覚になる、それが、こんな孤独な男を癒やしてくれるのだ、、俺はこれから、何をして、生きていこう、無職、故に仕事もない、だけど、人間は何もしないで生きていくことは出来ない、、可愛い、あの子を彼女にしたいなら、自分も魅力的になるしかない、、人生をさぼり続けると、そこには、何も待っていない、、僕はうたうのは下手だし、うたうのは好きじゃないけど、それでも、峯田和伸に憧れていたし、憧れている、つまりは、そういうこと、なのだろう、、

 

オナマシのおさるのパンクのCDを聞いている、最近は夏の暑さで疲れていたせいか、あー、俺、ぼっちとかそんな事ばっか、考えていた、まー、俺、ぼっちなんだけどね、それでも、ちゃんと前を向いて生きてないと人が寄り付くはずがない、だから、謙虚に前を向くしかないのだ、それにオナマシを聞いていると、楽しいしね、なんか、楽しいを出来る限り、感じていくしかないのだ、大丈夫、問題ない、ぼっちじゃない、ぼっちだとしても、生きていくしかないのだ、そんなら、死んだまま、生きてちゃ、駄目だ、ゲットバック、俺、誰よりも生きて、生きて、生きまくってやる、俺にはオナマシがある、

 

今日は八月十一日、銀杏がアルバムを出すことを発表した、特設サイトの写真を見ると、ビューティフルドリーマーの世界から神道常世の世界に行ってしまった様な写真だと、常世は死後の世界、だけど、変わらない世界、二枚目のアルバムが出た時、あの四人での活動をビューティフルドリーマー、よろしくな、ループ物のような日々だと言っていた、だけど、今回の写真を見ると、、まー、勝手な解釈だけどね、俺のこの、何も起こらない、奇跡もクソもない、この日常は常世なのかもしれない、そう、思えるだけで心が軽くなる、

 

今日は八月十二日、銀杏の、配信ライブを見ている、とってもいい、とってもいいのだ、こんなにドキドキワクワクするのは久しぶりだ、ライブを見たのは、一月三十一日の羊文学以来、、無銭を入れれば、二月二日の虹コンの冬スポ以来、、やっぱり、ライブはいい、音楽はいい、これから、コロナがどうなるか、分からない、前のような、ライブが、無理でも、どんどん、新しい形は生まれてくる、これで、また、自分の中で、また、音楽の思い出が増えた、色んなバンドの配信ライブが見たい、サンボも見たいし、相対性理論も見たい、、相対性理論はえつこ氏の顔出しがどうなるか、、あー、この前のくるりも見とけば良かった、

 

サンボマスターの三人は選ばれし、人間だ、、パンクロックを、ロックンロールをするために生まれてきた、と言っても過言ではない、三人だ、、それに比べて、銀杏ボーイズだった、あの三人、そして、今でも、唯一の銀杏ボーイズとして活動する、峯田和伸というのは、どうしようもなく、そういうのではない、もちろん、彼らは走り続けた、峯田君は今でも、走り続ける、、八月十二日の配信ライブで峯田君の口から出た、厳密に言えば、今までも、多分、口にしている言葉、「俺、あと何回うたえるんだろう」という言葉、その言葉には一回一回のライブとの向き合い方が垣間見えるなと思った、、きっと、サンボの三人はジジイになるまで、ロックンロールするだろう、そして、それを良しとする環境があるだろう、、だけど、峯田和伸はそういうのではないんだなと思った、

 

やっぱり、今日(八月十三日)も銀杏の配信のを見ている、峯田和伸という人は、技術じゃない所で勝負をしている、それはとても文学的だなと思った、パンクやフォークという原始的な文明を使って、誰も見たことのないような、聞いたことのないような、そんな表現をしている、、僕はやっぱり、天才じゃないし、特別じゃない、だけど、生きてみたいという心意気だけはある、きっと、峯田くんはこんなブログで、うじうじ、文章にしている、僕を見て、きっと、「やってみたらいいじゃん」と言う気がするんだ、、誰のせいでもない、銀杏のせいでもない、僕のせいでもない、生きたい人は生きるしかないのだ、どんな、拙い生き方しか、出来なくても、

 

サポートメンバーになって、生きたいを出して、その後の銀杏を聞いていると、こんな、ハチャメチャな、なりふり、かまわず、音を出してるけど、出してるから、なのか、なんなのか、分からないけど、楽しい気分になる、今は、コロナであんまり、人の多い場所や遠くへは行けないけど、それでも、どっかに行きたくなる(←はた迷惑だから、そんなことしないけど)好きな服、着て、ウキウキしたくなる、そんな、僕からしたら、楽しいにまぎれた音楽なのだ、今の銀杏の鳴らす音楽は、、金が無くても、ブサイクでも、相変わらず、ダサくても、楽しく、生きてるよ、僕は、、きっと、峯田くんもリア充生活を満喫しているのだろう、

 

今日(八月十四日)も、やっぱり、銀杏の配信のを見ている、この配信で、よく思うのは、銀杏はなんだかんだ、言っても、肉体的だと言うことだ、昼間、聞いていた、ヤナミューも肉体的だと思った、ヤナミューに関して言えば、楽曲自体は十分に音楽的なのであるが、メンバーのパフォーマンスは肉体的だなと思ったのだ、話は変わるが、マイナーな職業作家が作り出す、地下アイドルの楽曲が大好きなんだなと最近よく、思うのだ、そういう音楽がコロナのもとで、出てこなくなるとしたら、それは、残念なことだと思った、AKBや乃木坂も素晴らしいが、アクビ関連やヤナミューとかその他、もろもろも素晴らしいのだから、話はそれたが、肉体的な表現というものに興味がある、

 

午後三時過ぎ、食パンとインスタントのスープをいただいた、これは本来、朝の食事のメニューなのだが、今日は朝食をとっていなかったので、朝食のメニューが昼食のメニューになったのだ、きのうは、夜、かつ丼を食べ過ぎて、戻してしまった、だから、食パンとインスタントのスープ、これくらいが丁度いい、今は、ラジカセからヤナミューのセカンドが流れている、もともと、曲のメロディラインがエモっぽいという所もあるが、四人のボーカルが何かを伝えようという気概があって、素晴らしい、別にみんなが歌がうまいわけじゃないし、こうやって、気持ちで勝負するというのが、僕は、嫌いじゃない、

 

銀杏とかまってちゃんの映像作品に溺れていた、今日、この頃、なんか、単純にやる気が出るんすよね、やっぱり、なんか、エナジーが溢れているんだと思います、まるで、神への懺悔のように、今も、8月32日への特典のやつを流している、銀杏もかまってちゃんも最高、そして、僕はひとりぼっちの部屋で未来に期待する、だけど、俺は、気付いてしまった、未来なんか、不確かなものに、期待なんか、してはいけないと言うことに、仏教やキリスト教に興味がある、そして、誰も俺を知らなくても、面白おかしく、人生を楽しむ義務がある、

 

やくしまるえつこ大森靖子に触れていると、別にかまってちゃんやバンもんのみさこなどでもいいが、元気な女性が、音楽の世界で、バリバリ頑張って、バリバリ活躍しているんだということに気付く、アーバンギャルドの浜崎容子にしろ、、今は、yonigeをアップルミュージックで、聞いているのだが、やっぱり、頑張っている女性に触れると、自分も頑張んないとっと思う、ホムカミにしろ、柴田聡子にしろ、羊文学にしろ、リーガルリリーにしろ、本当に、この世は、豊かだ、、ももクロにしろ、ビッシュにしろ、でんぱにしろ、姫乃たまにしろ、里咲りさにしろ、、俺も頑張んないと、頑張っている人の音楽を聴くのは、楽しい、

 

銀杏が、恋なら、サンボは、愛なのだ、サンボマスターは君に語りかけるくらいから、サンボを追っているが、サンボのうたは銀杏とは全く違ったベクトルで、寄り添うのだ、今は、手紙という曲を聞いているが、童貞じゃなくなった童貞には、とっても、響く、サンボはいつでも、この、ウインターオブラブの時代に、ボーイミーツガールをうたうのだ、ふたりと言う曲でも、いい、恋人じゃなくても、友でもいい、とにかく、人との出会い、愛し合うことに重きを置いているのだ、まるで、岡林信康のような、プロテストソングで、ニュアンスは変わったが、今年、発表した、花束、忘れないで 忘れないで、はじまっていく たかまっていくも、時代に必要とされてる、曲たちなのだ、

 

今日は八月三十日、もう少しで、八月が終わる、最近は、ウィリアム・バシンスキーをよく、聞いている、寝ている間も、周りに迷惑にならないくらいの音量で流している、僕は、きっと、音がない空間が苦手なのだ、実際、音のない空間なんて、真空状態くらいなのかもしれないが、夜とかの静けさが好きであり、こころもとないのだ、今日はサニーデイを聞いたりした、だから、うどんを食べる、飛躍しすぎかもしれないけど、うどんを食べる、僕は金もない、女もいない、友もいない、そんな、寂しいやつだ、だけど、生きるしかないし、死ぬわけにはいかない、女がいないのも、友がいないのも、きっと、いい面だって、あるはずだ、ひとりは気楽だ、お金はあった方がいいのかもしれないけど、ひとりは気楽だ、僕には音楽がある、そこら辺にいる、ただの、ボンクラな音楽好きだが、それでいいのだ、

 

八月三十日、深夜、日付はとっくに、八月三十一日、八月、最後の日になっている、元欅のなーこちゃんがインスタライブをやっていた、可愛かった、表現なんて、自己顕示欲の産物だ、ヨーキング氏のボットでは、表現は自慢だ、みたいな事を言っていた、もちろん、ヨーキング氏が本当にそんな発言をしたかどうかは分からない、自分が自分を知っていればいい、自分の親が自分を知っていればいい、自分の恋人が自分を知っていればいい、俺は、恋人いないけど、小さな世界で、愛を見つける、それが、なかなか、難しいのだ、だから、僕は僕を愛す、きっと、親も愛していてくれているだろう、過去には、こんな、俺を愛してくれた、恋人もいた、もう一度、小さな楽園を作るために、ゲットレディーだ、ウィルアムバシンスキーの音楽が、なーこちゃんのインスタライブが、俺に、こんな、文章を書かせた、

 

ロマンポルシェオナマシを聞いている、やっぱり、こういう、大人にならないとね、そして、掟ポルシェ氏やイノマーの後ろには、初期のモーニング娘。がある、やっぱり、アイドルというのは、教養なのである、サブカルの、アイドルに、そんな、お金を落としているわけではないが、自分の誕生日にももクロエビ中とでんぱの対バンを見れたのは、いい思い出だ、とき宣のリリイベも、自分の誕生日に見た気がする、とにかく、自分なりの思い出がある、だから、今日、八月三十一日は、蔦屋書店にブブカを買いに行く、そして、ちょっと、話はそれるが、アイドルやバンド、芸能人の裏には、宗教があると思っている、新興宗教含め、、僕は、新興宗教にしろ、宗教にしろ、人と人とが繋がるのは、悪いことではないと思う、ひとりも悪くないがね、

 

(『二千二十年八月投稿分』)

 

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